新聞雑誌など

2020年3月28日 (土)

言葉で死体を埋めることも…

言葉で死体を埋めることもできるし、それを掘り起こすこともできる。ーーレベッカ・ソルニット

問題をずらしたり、文脈や関連領域を無視したり、情報を除外・改竄(かいざん)したり。事実を曲げる方法は多々ある。その横行は、時代を「診断」し「世界を変える作業の鍵」となる着実で粘り強い言語の力を損なってしまうと、米国の作家・歴史家は言う。「蛮行に抵抗する革命は、蛮行を隠す言葉に抵抗する革命から始まる」と。評論集『それを、真(まこと)の名で呼ぶならば』(渡辺由佳里訳)から。

鷲田清一による折々の言葉 朝日新聞 2020.02.25

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まさに今の日本の状況では。

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2020年3月26日 (木)

ご安全に

■炭鉱労働者の挨拶から
 集団内では当たり前の習慣が、外部の人から見るともの珍しい、ということがあります。業界特有の挨拶(あいさつ)なんかもそうです。
 山口県徳山の工場に〈今日も一日「ご安全に!」〉という看板が掲げてありました。一般に「安全」には「ご」をつけないので、珍しい使い方と言えるでしょう。
 私が「ご安全に」を知ったのは20年ほど前。原発作業員の挨拶として、雑誌に紹介されていました。もっとも、元をたどれば、ずっと古くからある挨拶のようです。
 関西電力のウェブサイトによると、ドイツの炭鉱労働者の挨拶が由来だそうです。1953年に住友金属工業が使い、鉄鋼業界などに広まったとのこと。私が今回見た看板は化学メーカーのものでした。
 安全確認が最重要の職場では、「ご安全に」は広まるべくして広まったのでしょう。「安全第一」では少し硬い。「お大事に」のような柔らかさを持たせた言い方です。
 安倍首相も使っています。第1次内閣の時、出身会社の製鉄所を訪れて「皆さん、ご安全に。工程課厚板係の安倍晋三です」。仲間意識をくすぐる挨拶だったのでしょう。

朝日新聞 be on Saturday 2020年02月22日
(街のB級言葉図鑑)飯間浩明(国語辞典編纂者)

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2020年3月18日 (水)

サル化した人間

 サル化した人間の特徴は「過去を反省しない」「未来に対して見通しを持たない」ことです。だから、悔恨もないし不安もない。どれほど失敗しても同じ失敗を繰り返すし、「こんなことを続けていたらそのうちたいへんなこと」になるとわかっていても、「こんなこと」を続ける。「前にこれで失敗して手痛い思いをしたこと」も「そのうち起こるかもしれないたいへんなこと」にもリアリティーを感じることができない。
 こんな生きづらい時代ですから、「過去のことは忘れたい 未来のことは考えたくない」と思ってしまうことは止められません。でも、「後悔に苛まれたくない、不安に怯えたくない」という人は、それと同時に、遠い記憶の中を逍遥したり、未来に夢を描いたりすることもあきらめなければならない。それがどれほど多くのものを失うことなのか、それについては少し立ち止まって考えた方がいいと思います。

内田樹の研究室、のブログ 2020-03-17『サル化する世界』についてのインタビューから。全文はこちら

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『サル化する世界』、近いうちに読むつもりです。

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2020年3月15日 (日)

三島由紀夫 VS 全共闘

内田樹の研究室、のブログ 2020-03-09
三島由紀夫対東大全共闘から50年から、全文はこちら

 三島は、全共闘の学生たちのうちには、「徹底的な論理性」と「民族的心性の非論理性・非合理性」を併せ持った「革命戦士」が10人、せめて5人はいるのではないか、そう思ったのである。そして、その selected few に向かって三島は語りかけた。
 だから、この時の三島の目標は「この人となら一緒に死んでもいい」という欲望を学生たちの間にかき立てることだった。千人の「敵」の前に、鷹揚として、笑顔を絶やさず、胆力とユーモアと、深い包容力を持つ政治的カリスマとして登場すること、それが三島の駒場での一世一代のミッションだった。
 そういう仮説に基づいて観るとまことに味わい深い一作である。

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映画「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」、
広島では3月20日サロンシネマで公開、
観に行くつもりです。

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2020年3月 5日 (木)

月決

■全国的には「月極」が主流

 「月極(げっきょく)」という名の、全国規模の駐車場チェーンがある――というのは有名な冗談です。「月極(つきぎめ)駐車場」の看板はどこにでもあるので、勘違いしていた人もいるはず。
 契約を1か月ずつ決めることを「月決め」と言いますが、駐車場の表記は「月極」。昔は「きめる」を「極める」とも書き、変わった表記ではありませんでした。明治時代の二葉亭四迷「平凡」にも〈金額をも極(き)めて〉と出てきます。
 戦後の漢字表では「極」は「きめる」とは読まなくなりましたが、全国の看板では依然として「月極」が主流です。戦後教育を受けた人にとっては、「月極」は謎の看板になってしまいました。
 一方、地方によっては「月決」と書いた看板を見ることがあります。有名なのは高知県です。高知新聞の調べでは、「極」より「決」が1割ほど多い印象とのこと。たしかに、戦後の表記ルールには合います。
 今回の写真は、北海道・旭川で撮影しました。このように、「月決」は北海道や青森県などでも見かけます。地理的な要因などで、よその影響を受けにくく、独自の表記が保たれているのでしょう。

朝日新聞 be on Saturday 2020年02月01日
(街のB級言葉図鑑)飯間浩明(国語辞典編纂者)

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2020年3月 4日 (水)

にわかファン

かりそめの姿で喜びを分かち合う
 19年度の流行語大賞はラグビーワールドカップから選ばれるに違いないと思われた。「笑わない男」とか「ジャッカル」とか。結果選ばれたのは「ワンティーム」。しかし、私が好きなのは、「にわかファン」。
 「にわか」とは「急に・突然」の意味で、にわかに降ってきた雨のことをにわか雨という。あくまでも一時的であり、本来的ではなく、かりそめのものという意味で、偽物っぼい、インチキくさいの意味になる。
 このラグビー大会は、始まるまで、ちっとも盛り上がっていなかった。日本は体格的に海外ティームにかないっこないと信じていた。
 泥臭い。男くさい。汗臭い。美しくない。そうした、ラグビーの一般的なイメージも不利に働いているのではと思われた。
 しかし、始まってみると、ロシアを相手に勝ってしまった。強いのだ。強豪アイルランドを、鮮やかなパスとスピードで圧倒した。スコットランドはその勢いで倒すことができた。
 ラグビーは武骨でありながら華がある。ユニフォームの胸の桜のマークがアンバランスでいい。日本中が沸(わ)いた。当然のように、熱中する人が増える。「にわかファン」と呼ばれた。
堂々と「にわか」を自認する
「にわか」には、真っ当でなく胡散(うさん)臭いの意味があって、「にわかファン」は、昔からのラグビー好きからすれば、蔑称(べっしょう)である。
 事実、ラグビーについて急に語り始めたオジサンたちの中には、「神戸神鋼のゲームを見た」とか、「新日鉄釜石の大八木がいかにすごかったか」を話し、知っているんだぞ、にわかじゃないんだぞと言いたがる人がいた。しかし、今までラグビーについて一切語ることをしなかったのだから、実は「にわかファン」だった。「にわか」であることを恥じていた。
 その後、自称として堂々とにわかファンであることを自認する人々が現れた。ここが、この言葉のすてきなところなのだ。
 自分は、ラグビーについて知らない。そのルールもよくわからない。近頃の選手としては、五郎丸(ごろうまる)君しか知らない。「ジャッカル」なんて初めて聞いた。でもこの度の試合をテレビで見て、面白いと思ってしまった。
 にわかであることを認めてしまうというのは、何より正直である。その日本ティームの活躍を見て、とても嬉(うれ)しくなってしまった。幸せな気分になっている。恥ずかしがりながらも、その喜びを人に伝えたくてたまらない。その謙虚さはいじらしい。
 わたしも無論、生粋のにわかファンだ。

サライ2020年2月号、金田一秀穂による連載「巷(ちまた)の日本語」、第37回「にわかファン」

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私もにわかファンです、でした。

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2020年3月 3日 (火)

政治の季節

ある時代が政治的であるということは、人々がかまびすしくおのれの政治的意見を語り、政治的組織に属し、運動をするという外形的な兆候を指すのではない。例えば、今の日本でもメディアには政治を語る言説があふれているし、党派的にふるまう人はそこらに数えきれないほど存在するけれども、私は現代日本人を政治的とは見なさない。現代日本は「非政治的な季節」のうちにあると思っている。/それは「政治的」であるというのは、自分個人の生き方が国の運命とリンクしているような「気がする」ということだからである。
「『世界を変える』とマルクスは言った。『生活を変える』とランボーは言った。この二つのスローガンはわれわれにとっては一つのものだ。」(アンドレ・ブルトン)/名言だと思う。こういうふうに考える人間のことを「政治的」と呼ぶべきだと私は思う。
「政治の季節」の人々は次のように推論することになる。
1・自分のような人間はこの世に二人といない。 
2・この世に自分が果たすべき仕事、自分以外の誰によっても代替し得ないようなミッションがあるはずである。
3・自分がそのミッションを果たさなければ、世界はそれが「あるべき姿」とは違うものになる。
 こういう考え方をすることは決して悪いことではない。それは若者たちに自分の存在根拠についての確信を与えるし、成熟への強い動機づけを提供する。/その逆を考えればわかる。
1・この世には私のような人間は掃いて捨てるほどいる。
2・私が果たさなければならないミッションなど存在しないし、私の到来を待望している人たちもいない。
3・だから、私が何をしようとしまいと、世界は少しも変わらない。
 このように推論する人のことを「非政治的な人」と私は呼ぶ。/自分が何をしようとしまいと、世界は少しも変わらない。だから、私はやりたいことをやる。人を突き飛ばそうと、おしのけようと、傷つけようと、汚そうと、奪おうと、それによってシステム全体にはさしたる変化は起きない。そういうふうに考えることが「合理的」で「クール」で「知的だ」と思っている人のことを「非政治的」と私は呼ぶ。現代日本にはこういう人たちがマジョリティを占めている。

内田樹の研究室、のブログ 2020-01-29 政治の季節、から。
全文はこちら

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これは三島由紀夫のドキュメンタリー映画のパンフレットに書いた文章とのこと。その映画は、三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実。3月下旬、サロンシネマで公開。見に行こう。

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2020年3月 1日 (日)

コロナウイルスと社会的共通資本

内田樹の研究室、のブログ
2020-02-29 コロナウイルスと社会的共通資本

先週の『信濃毎日』に寄稿したもの。それよりさらに数日前に書いたものなので、その点を勘案してお読みください。

 コロナウィルスの感染はこの原稿が掲載される日(注:2月25日)にどうなっているか予測がつかない。たぶん事態は今以上に危機的になっているだろう。それにしても、今回の事件に日本社会の本質的な脆弱性が露呈されたと思っている人は少なくないだろう。
 私が日本社会の弱さと思うのは「社会的共通資本」という概念が定着していないことである。
 社会的共通資本とは人間が集団として生きるためにそれなしでは生きてゆけないもののことである。海洋・森林・河川といった自然環境、上下水道・交通網・通信網・電力などの社会的インフラ、そして行政・司法・教育・医療などの制度資本がこれに当たる。これらの制度設計・管理運営は専門家が専門的知見に基づいて、理性的かつ非情緒的に行うべきものであって、政治と市場はこれに関与してはならないとされる。
 別に政治イデオロギーはつねに有害であるとか、金儲けは悪であるとか言っているわけではない。政治と市場は複雑系だという話である。
 複雑系ではわずかな入力の変化が巨大な出力変化をもたらす。政治と市場に人々が熱狂するのは、予測もしなかった急激な変化が連続的に起こるからである。変化が好きな人間には深い愉悦をもたらす。
 だが、社会的共通資本においては、わずかな入力の変化でめまぐるしく変化することよりも、定常的であることが最優先される。政権交代したら水道が出なくなったとか、株価が下がったので学校や病院が閉じたというようなことがあっては困る。
 医療という制度資本にかかわる感染症対策では、専門家が専門的知見に基づいて管理すべき事案であって、ここに内閣支持率や株価が関与することは許されない。
 ということをどれだけの人が自覚しているだろうか。
 今回のコロナウィルスの政府の対策会議は1月30日の第一回から2月14日の第九回まで一人の感染症専門家もなしで開かれていた。会議時間は10分から15分。ここで感染症対策についてのテクニカルな議論が深められたと信じる人はいないだろう。
 政治家や官僚や財界人ではなく、まず専門家がハンドルすべき重大事案がこの世には存在する。そのことについての合意が日本社会には存在しない。

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コロナウイルスについては判らないことだらけ。何をどう信じていいのか? 騒ぎすぎという人もいれば、危機が迫っている人もいる。専門家による一般人にも理解できる説明が欲しい。

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2020年2月23日 (日)

置かれた場所で咲きなさい…

置かれた場所で咲きなさい、ではなくて、咲く場所に置きなさいってことなんですね。杉江由次(よしつぐ)

元書店員・矢部潤子に取材し、彼女の著作『本を売る技術』を編んだ出版社営業担当は、本の置き方というのは「子育てみたい」と言う矢部に、こう言葉を重ねる。本にも思わぬ「実力」があったり、じわじわとゆっくり育っていったり、いろんな一生がある。それを守り育てるには、「置き場所の見極め」が大事。もちろん本の場合は人生と違い、見切りというのも必要だけれど。

鷲田清一による折々の言葉 朝日新聞 2020.02.21

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人生にも「見切り」が必要では?

 

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2020年2月22日 (土)

ふるさと納税の怪

朝日新聞2019年12月16日の記事「同じ返礼品でも寄付額が違う? ふるさと納税サイトの謎」から引用

 ふるさと納税のポータルサイトは急増し、その数は20を超える。こうしたサイトは各自治体に返礼品などの情報を掲載してもらい、より多くの納税者にサイトを訪れてもらう。
 サイトは自治体から一定の手数料を得る。そのサイトを訪れた人の寄付が多ければ、自治体からの掲載依頼も集まり、収益も増える。
 サイトが得ている掲載手数料は、関連サイトで最大手の「ふるさとチョイス」を運営するトラストバンクは公表しており、平均2~3%といい、「業界でも最低水準だ」と幹部は話す。
 このほかの多くのサイトは非公表で、朝日新聞が複数の自治体に聞いたところ、「寄付額の5%あるいは9%」「寄付額の8%と広告手数料(2~10%)」「寄付額の12%」など様々だった。
 この手数料の差が、「不思議な現象」を生む。
 現在の制度では、返礼品競争を抑えるため、自治体の返礼品額は寄付額の3割以下とされている。また、返礼品を含む全体の経費は5割以下ともされている。つまり返礼品以外にかかるサイトへの手数料などの経費は、返礼額を最大限にするならば、寄付額の2割以下にしないといけない。
 するとどうなるか。
 同じ返礼品を用意しても、サイトの手数料が高めだと、返礼品と手数料などで寄付額の5割を超え、規制に抵触する場合がある。それを避けるには、同じ返礼品でも寄付額を引き上げるか、寄付額を変えずに返礼品の中身を減らすなどする必要がある。
 そのため、サイトによっては同じ寄付額でも返礼品の中身が違ったり、同じ返礼品でも寄付額が異なったりする、という現象が起きることになる。

 同じ返礼品なのに寄付額が違ったり、寄付額が同じでも返礼品の内容が違ったり、というケースは、ポータルサイト関係者によると少なくとも1万件弱あるという。

 ネット上では、寄付額に対する返礼品の価値の割合を示した「コスパ還元率ランキング」や、「お得な品を選べば家計が助かること間違いなし」といった表現などが今も躍る。
 こうした表現を使うサイトは、ふるさと納税を扱うポータルサイトではなく、そうしたサイトに誘導する「アフィリエイト・サイト」に目立つ。誘導するごとにポータルサイトから手数料などを得ている。

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日本経済新聞2020年2月21日の記事 ”ふるさと納税「経費5割以下」 北海道や九州、送料重荷” によると、送料の経費に占める割合は、全国平均 6.5% に対して、北海道 9.7%、九州 8.7%、四国7.7%、とのこと。

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いろいろ問題を孕んだ制度ですね。元々の趣旨を活かすために、小手先の改変ではなく、抜本的な見直しが必要なのではないでしょうか。

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