バレンタインデイ2019(追加)
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一ヶ月ぶりに、願船坊の朝活(こちら)に参加、、7回目なります。まずいつものように、讃仏偈のおつとめ。次に住職のチェロ演奏、バッハ:無伴奏チェロ組曲5番からサラバンド&クーラント、季節の歌として、冬景色&早春賦。最後に、坊守さんのオルガン伴奏で、恩徳讃。7時終了、明るくなって、清々しい気持ちで行動開始。で、朝食は他に開いている店も無く、今日もマックです。
孫の好物、プチパンケーキ、りんごソース、200円。プレミアムローストコーヒーM、150円がアプリクーポンで、120円。一度食べてみたかった、三角チョコパイ黒、120円がアプリクーポンで、110円、チョコがトロトロでした。
朝7時から開いているお店、他に無いかな。
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おじいちゃん、おばあちゃんの最後のつとめは、孫や家族に自分が死ぬところを見せることではないか。(池田清彦)
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死がベールの向こうに置かれる。街には犬の死骸すらない。延命措置で、「いまわの際」をしかと看取(みと)るのも難しくなった。生と死は一続きなのに、死は見えなくされる。死を特別扱いせずに、死骸が鳥たちに啄(ついば)まれ、きれいな白骨となって「土に還(かえ)る」という自然のサイクルに心を留めるべしと、生物学者は言う。『ほどほどのすすめ』から。
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朝日新聞、鷲田清一による「折々のことば」 2019年1月31日
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僕の小さい頃、近親者の死は、子どもが直(じか)に見てました。昨日までいたおばあさんが今日はもういない。そのいなくなる、死んじゃった姿を目の前で見ていましたから、死というものが非常に具体的に自分の記憶に刻まれています。
池内紀 「すごいトシヨリBOOK」 p.203
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「一国主義を主張する政治家は選ばれた存在に過ぎず、選んでいるのは国民です。悪いのは国民です。各国で国民が劣化したんです。偽りと真実を見極めることが民主主義の原点なのに、それができずに独裁者を生む。プーチン氏や習近平氏であり、西側でもそういう連中ばかりになってきた。劣化は老いから始まったと思います。老いて勉強しない。考えない。新しいものに果敢に挑み、切り開くエネルギーも枯渇してきました」
「文明は老いるものです。ローマしかり、大英帝国しかり。新しい血と混ぜることを嫌えば衰退に向かう。それが世界史です。トランプ氏が壁造りに躍起になっていますが、外国からいろんな人がやってきて活性化してきたというエネルギーを馬鹿にしてはいけない」
「日本は『弱きを助け強きをくじく』といった大和心は残しつつ進取の気性を培わないと、挫折したまま滅んでしまう。単なる労働力として外国人を入れるのではなく、勉強する、考える日本人を増やす触媒の役割を担ってもらうべきです」
「無用な対立はいけないですが、異文化と接することで日本本来の文化も磨かれる。陳腐化したものは淘汰(とうた)される。そうした新陳代謝を怠ったのが、残念ながら平成時代の一つの性格です。異文化とワイワイガヤガヤやって実力がつくのです」
朝日新聞2019年1月30日
経済同友会の小林喜光代表幹事へのインタビューから
「国民が劣化」、という見方は如何なものか?
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朝日新聞2019年1月22日の「耕論」(こちら)で、
内田樹が同じようなことをいっていました。
「平成も明確な時代イメージを持つ元号として記憶されるでしょう。それは、落ち目の時代として、です。日本の国運が頂点から低落へと一変した時代が、平成でした。」
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様々なことに「平成最後の・・・」の枕詞が付くのににウンザリしています。何の意味があるのか。五月からは、「○○最初の・・・」が連発されるのでしょう。
2019年1月22日朝日新聞「耕論」、三人がその論を述べます。
一人目、内田樹(思想家)、うちだたつる、1950年生まれ。神戸女学院大学名誉教授(フランス現代思想)。2017年には「天皇主義者」宣言で話題に。
元号とは「時間の区切り方」の一つです。いま日本では西暦と元号の両方が使われていますが、ふだん私が使うのは圧倒的に西暦です。
先の戦争が終わって何年たったのか。昭和と平成に区切られた元号で考えていては、計算が困難です。ある事件が日本で起きたとき、世界で何が起きていたのかを知るにも元号は不向き。だから僕にとって西暦は大事な道具です。
ただ、元号は不便だから西暦だけあればよいという意見にはくみしません。むしろ複数の時間軸を持っていることは、文化的に豊かなことなのではないかと考えます。
世界では、様々な国々が様々な形で時間の区切りを活用しています。英国には王朝に即してエリザベス様式やビクトリア様式という時代区分があり、それぞれの時代に独特の文化や精神があると考えられています。米国では10年(decade(ディケイド))を基準に、50年代ファッションとか60年代ポップスと使っています。
日本には元号があり、明治45年生まれだった僕の父は「私は明治人だ」と言い続けました。わずか半年あとに生まれれば大正生まれになっていたはずなのに、明治を自身のアイデンティティーの支えにした。人間は特定の時代に自分を帰属させることで安心感を得るのかもしれません。
ある元号を口にすると、その時代イメージをありありと思い浮かべられる。そういう元号は明治以外にもあり、一種の文化資産と言えます。
平成も明確な時代イメージを持つ元号として記憶されるでしょう。それは、落ち目の時代として、です。日本の国運が頂点から低落へと一変した時代が、平成でした。
平成が始まった1989年には、日本は米国を超え世界一の経済大国になるという夢がありました。しかしそのわずか30年後のいま、主要先進国の座から滑り落ちようとしている。短期間に驚くほど大きく国力が下がったのです。
世の中が変わったことを集団的に合意するための伝統的な装置。それが時間の区切りなのでしょう。日本にだけあるのではない、味のある文化的な仕掛けだと思います。
人間には、世界共通の時間ではなく、民族や集団に固有の刻み目が入った時間の中で生きたい、という欲望があるのではないでしょうか。たとえば西暦も、キリスト教という一宗教の世界観が投影された時間の区切りです。
元号と西暦の併用は確かに複雑で面倒です。しかし、世の中はとかく面倒なものです。それぞれの社会集団にそれぞれの時間の区切り方がある。だから、いくつもの異なる物語がある世界でそれらを何とか編み上げて、それなりに使い勝手のよい社会をつくっていく以外に方法がない。話はハナから複雑なのです。
二人目、坪井秀人(国際大学GLOCOM客員研究員)、つぼいひでと、1959年生まれ。文学と戦争や時代との関わりを研究。昨年「僕が元号を使わない理由」という文章を発表。以下、一部抜粋。
自分が使う時間を自ら決められないのは、時間に関する主権がないということです。それは、国民主権といいながら、天皇を押し戴(いただ)いた国のかたちと密接に結びついています。
30年前と違い、今回は天皇制をめぐる議論がほぼありません。天皇の言動が左翼からさえも支持され、大きなシステムへの批判が見事に封じられています。皇室からは今回、生前退位や大嘗祭(だいじょうさい)の費用など新しい問題提起がありました。しかし日本社会の側は、それにも反応できず、なし崩しで物事を進めています。天皇制や元号の問題なんてもうどうでもいい、とスルーされているのです。
三人目、楠正憲(国際日本文化研究センター教授)、くすのきまさのり、1977年生まれ。行政情報システムに詳しい。金融IT企業の技術責任者や、内閣情報通信政策監補佐官も。以下、一部抜粋。
今回、政府は免許証の有効期限で西暦表記も併記する決定をしました。しかし米国で働く私の友人は「生年月日を西暦にしてほしい」と言います。米国では日本の免許証がIDカードとして使える場面があるのですが、元号だといつ生まれたのかを米国人が理解できず、証明に使えないというのです。
元号はそもそも「突然変わるもの」として想定されてきているはずです。改元がいつごろ起きるかがスケジュール的に分かっている今回の方が、実は異例なのですから。
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昭和から平成に変わった時と比べると、確かに今回は異例ですね。4月の終わりから5月の初め、どんな事態になっているのか? そして、今後はどうなるのか? まあ、次の改元まで私は生きていませんが。
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市場経済のなかで生きている人間は……すべて市場で投機家としてふるまわざるをえない(岩井克人)
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投機家とは、自らが必要とするものを買うのでも生産するのでもなく、「短期的な値上がり益のみを目的に」売り買いする人。市場価格はそこでは「実体的な錨(いかり)」を失い、あやふやな情報や噂(うわさ)で乱高下し、ひどく不安定になる。消費者も生産者もこれに沿って消費を計画し、仕入れや在庫調整をせざるをえず、この不安定さを免れない。経済学者の『二十一世紀の資本主義論』から。
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朝日新聞、鷲田清一による「折々のことば」 2019年1月24日
市場経済は何時か破綻するのではないか。
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「どうせ」という認識を受けて、「いっそ」といくか、あるいは「せめて」とでるか (竹内整一)
どうせいつか死ぬなら、だめになるなら、散ってしまうなら、いっそこっちから先に見限ってやると言うのか、それともせめてこれだけは、今だけはと希(ねが)うのか。自分に言いきかせるのか、何かにすがるのか。「いっそ」と言いつつ「せめて」と希う、そんな「あわい」で揺らめくのが人性だと、日本思想史家は言う。人はつねに限界の前に佇(たたず)む。無常を論じた『ありてなければ』から。
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朝日新聞、鷲田清一による「折々のことば」 2019年1月14日
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私は以前から、漢語の「心」と和語の「こころ」は、ほぼ千年のあいだ、この国の大きな言葉の山脈を形づくってきたと思ってきた。豊かな二つの大河の流れを生みだしてきたと考えていた。
「こころ」という、柔らかな響き
「心」という、奥歯をかみしめる声音
二つの大河は同じ日本列島の大地を流れつづけてきたが、その両岸に展開する風景は刻々と変化をみせ、すこしも停滞することがない。
「こころ」の岸辺には、われわれの日常的な喜怒哀楽のすべての姿が変幻きわまりない枝葉を茂らせ、花を咲かせている。「万葉集」に登場する恋の喜びや死の悲傷、「源氏物語」にあらわれる「もののあはれ」や「もののけ」、「平家物語」の「謡曲」を彩る死者や亡霊たちの叫び、などなど。「こころ」の世界の動きやはたらきは無限といえば無限、カオスの顔をもつ無常と非情の万華鏡そのものだった。
「心」の岸辺ではどんな光景がみられるであろうか。その漢字表記にみられるように、お隣の中国文明の風光が匂い立ち、日本と中国のあいだを行き来した知識人の活動が映しだされているといっていいだろう。とりわけ仏教の導入に心をくだいた留学僧たちの役割が大きかった。
比叡山に天台宗を開いた最澄は「道心」という言葉をもち帰り、高野山に密教の道場をつくった空海は「十住心」という新しい言葉をもたらした。中世の法然や親鸞は「信心」という言葉を大衆のあいだに広めている。道元は中国での修行によって「身心脱落」の新造語をつくり、日蓮もまた「観心」という瞑想(めいそう)作法を説いた。
この「心」探求の伝統が、やがて14世紀の世阿弥の時代になって美的に洗練され、「初心」という言葉の宇宙を生む。世界でも稀(まれ)な、美意識としての「こころ」の誕生だった。
朝日新聞週末特集 be on Saturday 2019年1月12日号 9面
山折哲雄の (生老病死)「こころ」と「心」、二つの大河の流れ
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