日記

2018年12月 8日 (土)

1泊100万円の宿坊も

888年の創建で、「徒然草」にも登場する世界遺産の仁和寺(にんなじ、京都市)は、今春から外国人富裕層向けに宿泊業を始めた。料金は1泊100万円で2階建ての数寄屋建築「松林庵」で1日1組(最大5人)の限定だ。境内の古い家屋を1億6千万円かけて宿坊に改築。「そんな人が!という人からお話も来ています」と同寺の大石隆淳執行。最初の宿泊者も「世界的な著名人」だった。実績は5組ほどだが、世界各地から問い合わせがある。希望すれば別料金で、雅楽や舞楽を鑑賞したり、写経や生け花などの伝統文化を体験したりできる。仁和寺では代々、皇室関係者が住職を務めた。

朝日新聞 2018年12月6日
「花街のごひいきはインバウンド 1泊100万円の宿坊も」 から

最近(実は昔から?)、富裕層相手の商売が多いですね。
貧乏人は指をくわえているだけ!
こんな社会でいいのか、これが資本主義社会の現実なのか。

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2018年12月 7日 (金)

ふるさと納税@対馬2018

今年も、縁のある長崎県の対馬にふるさと納税をしました(去年のことはこちら)。11月中頃に取り掛かると、どうやら総務省の通達を受けて、見直しがあった模様。返礼品は、去年とほぼ同じものを選んだのですが、一口一万円が一万四千円に、中身も少し減っているようです。まあ、健全な形になりつつあるということでしょう。

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対馬産剣先イカ(生冷凍)。
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刺身、旨い。
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天然ぶり味噌漬。
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これはなかなかの絶品です。

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ふるさと納税、まだまだ改革が必要ではないでしょうか。

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心臓死、脳死、そして・・

 おそるおそるいうのであるが、今こそ死の規制緩和が必要なのではないか、と私は思う。それは大きくいって二つある。一つ目は、これまでの死の定義を変更すること。知られているように、われわれの死は心臓死か脳死、そのいずれかであると法的に定められてきた。心臓死は近代医学にもとづくものだが、脳死は臓器移植をすすめるため便宜的に定められた人の死である。これも近代医学の理屈に合わせて設けられたという点で心臓死の定義と本質的に異なるものではないといっていい。
 それでは、今日おかれているこの超高齢の多死社会の困難な課題にたいして、このような2種の死の定義だけで有効に対処できるのかというと、もはや不可能ではないかと私は考える。われわれの死に差し向けられた生の現実は、長期にわたる病と老いとともに進行するプロセスとしての死の特徴をきわ立たせているからである。それは心臓死や脳死のような、点としての死という定義を大きくふみはずす様相を呈している。この国では昔から「もがり死」という過程としての死の慣行が生きつづけてきたことも忘れてはならないところだ。

山折哲雄、朝日新聞2018年12月1日
be on Saturday(生老病死)迫られる死の規制緩和と再定義

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2018年11月14日 (水)

旅行のお土産

姫路・宝塚への旅、その8、ラスト、お土産編。

ツアー主催者から貰ったもの(料金の内?)。

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姫路城VRスコープ。見学しながら使う、と思っていたら、家に帰って見て下さいとのこと。スマホのサイズで二種類。360度ムービーを見ることが出来る優れもの。短いけれど六種類あります。姫路城以外にもお城を中心にVRスポットが10数箇所あり、今後増えるのでしょう。

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ゴンチャロフでした。
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袋の色が違えば中身が違い、色々な種類がありました。

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お嫁ちゃんと娘のお土産。

灘菊酒造にて。

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フンワリした酒粕です。
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これは美味。
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これはまだ飲んでいないので、後日。

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一泊二日でしたが、充実した旅でした。
宝塚へは又機会を見つけていきたいと思います。

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2018年11月 1日 (木)

コキア

コキアといえば、国営ひたち海浜公園こちら)が有名です。
が、広島にもあります。それも我が家の近所に。

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安佐南区大町一丁目、サーパスタウンの入口辺りです。
これは今月初め、先日見に行ったら変化なし。

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これは安佐南区役所の前庭。赤くなっているので気付きました。
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なかなかきれいです。

サーパスタウンの方はもう少しかな。

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2018年10月 3日 (水)

朝活@願船坊(二回目)

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一回目(こちら)に書いたトラブルとは、写真中央の溝に車のタイヤを落としたことです。駐車場が判らないので聞くと、この道の先とのこと。狭いけれど何とか行けるかと思ったのですが。寺に居られた方々の多大なるご尽力で脱出できましたが、時間が掛かり朝活が大幅に遅れご迷惑をかけてしまいました。改めてお詫びとお礼を申し上げます。今日は予定通り6時半開始、内容の紹介を。

まず、讃仏偈のお勤め
最後の、「我行精進 忍終不悔」が前回から印象に残っています。
「努力精進し 決して後悔することはありません」
調べてみると、高倉健辞世の句はここからのようです。
「往く道は精進にして、忍びて終り、悔いなし」

次は、住職による朝コン(チェロ演奏)
グリーグのペールギュントから「ソルベイグの歌」
バッハの無伴奏チェロ組曲第1番から「アルマンド」
サトウハチロー作詞・中田喜直作曲の童謡「小さい秋見つけた」

最後に、親鸞聖人の著書『正像末和讃』にある恩徳讃の合唱
「如来大悲の恩徳は、 身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も、 骨を砕きても謝すべし」
前回は住職のオルガン、今日は坊守さん、美声です。

清々しい一日の始まり、いろいろ勉強して、今後も出来るだけ参加しようと思います。

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2018年10月 1日 (月)

栗拾い総括

周防大島に行きました、2018年9月25日、その6、ラスト。

すでに書いた栗拾いについての後日談。

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問題のない栗、数えると、77個ありました。

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虫食いの恐れのあるもの、これ以外にも少しあり、恐らく同じくらいあったのではないでしょうか。勿論全て皮むきをして食べました、というか、まだ食べ続けています。栗は美味しいですね。

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なんといっても栗ご飯、大好きです。

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渋皮煮、美味しい。

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甘露煮、これも旨い。

もうしばらく楽しめそうです。

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ところで、今日ニュースに出ていました。富田林の脱走犯、道の駅サザンセトとうわ、に滞在していたようです、それも、我々が行った日にも。実はすれちがっていたかも。スーパーボランティアが活躍した行方不明の二歳児といい、周防大島が何かと話題になっています。

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2018年9月25日 (火)

栗拾い@周防大島

周防大島に行きました、その1。

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本土(向こう側)と周防大島を結ぶ、大島大橋。島在住の友人から栗拾いのお誘いがあり、この橋を渡って参上しました。

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まずお宅で、奥様が作られた、栗きんとんと渋皮煮、凄く美味、栗好きの私、これが今日一番の感動でした。

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友人によると、今年は不作とのこと、でもたくさんあります。

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イノシシの被害が多いそうです。

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初体験で、要領よく出来ません。

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とはいえ、結局こんなにたくさん、プラス・・・・・

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虫食い、と、その恐れのあるもの、たくさん。

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この後、周防大島をうろちょろしました。それは後日に。

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2018年9月24日 (月)

秋のお彼岸2018

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お彼岸です。一昨日お墓参り。

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中日の昨日、自家製のおはぎを食べました。

此岸から彼岸に近づくことが出来るように、何をするべきか。

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今日は中秋の名月、残念ながら曇天。

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自家製団子を頂きました。

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お汁も団子入り。

いよいよ暑さも終わりでしょう。

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2018年9月22日 (土)

平穏死&仏像の半眼

今日(2018年9月22日))の朝日新聞 be on Saturday 4面

特別養護老人ホーム常勤医・石飛幸三 「(それぞれの最終楽章)平穏死:3 「1分でも長く」は愛情でなく執着」から抜粋

 事情はそれぞれです。親が生きていることで心の平衡を保ったり、介護が自らの存在証明になったりしている人もいるでしょう。しかし1分1秒でもただ長く生きてほしいと願うのは、愛情ではなく執着です。「不死身の人間はいない」という当たり前の事実を受け止めてほしいと思います。
 「情がない」「肉親でない者が理屈を並べているだけだ」と批判する人もいるでしょう。ポイントは医療を提供する、しないの判断に「その人のためになるのか」という視点が貫かれているかだと考えています。

二週間前にも引用したシリーズです。

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今日(2018年9月22日))の朝日新聞 be on Saturday 9面

宗教学者・山折哲雄 「(生老病死)死のプロセスへのこだわり映す」から抜粋 

 この国では仏像の半眼表現によって人間の死のプロセスをあらわすようになったのではないかと疑うようになった。病院で診断されるような心臓死や脳死という、点でとらえる死ではない。開眼から半眼へ、そして閉眼にいたる死の旅路をあらわす象徴としてそれが刻まれ、描かれるようになったのではないか、と。
 われわれは人の死を「もがり」という作法で送ってきたことを思いだす。「殯」と書く。人は死んで地に横たえられたあとも息を吹き返すことがある。だからしばらくのあいだは地上にそのまま安置し、生きているかのように横たえる。庶民の場合は3日ほど、・・・・・

半眼の仏像はわが国にだけ多くみられるとのこと。

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色々考えさせられる記事でした。

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