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2020年4月 6日 (月)

公共とは

公共を支えるのは公共ではなく、私人である」。
公共というのは、そこに自然物のようにあらかじめ存在するものではなく、私人が「身銭を切って」立ち上げる他ないものです。
私権の一部、私有財産の一部を「公共」に供託して、共同管理する方が私権・私有財産の保全上はむしろ有効だということに経験的に気がついた。そうやって人々が私権・私有財産を少しずつ供託することで「公共」が立ち上がり、近代国家ができた
誰かが自分の生命身体や財産や自由を公共のために差し出すことで、はじめてそこに公的秩序が生まれるということです。私人が公共を立ち上げるのであって、どこかから出来合いの公共がやって来るわけではありません。
でも、実際には「公共なるもの」が自分の外側に自存していると信じている人があまりに多い。そして、何か困ったことがあると「公的機関が何とかすべきだ」と口を尖らす。もちろん、公的機関はそのために存在するのですから、そう権利請求は正当なのですけれど、それと同時に自分たちが「身銭を切る」ことでまず公共は成立したという前後関係を忘れてはいけないと思います。
よく「タックス・ペイヤーとしての自覚を持て」ということを言いますが、これを「税金を払っているんだから、払った分だけ回収する権利がある」というふうに考える人はいささか底が浅いと僕は思います。私人たちが「払った分」を全額回収したら、公共は崩壊してしまうからです。「タックスペイヤーとしての自覚」とはむしろ「公共を適切に機能させる責任は自分たちにある」という自覚を持つことだと思います。
今の社会システムはすべて「右肩上がり」の経済成長を前提にしています。人口減局面を生き延びるためには選択肢は2つしかありません。
一つは都市一極集中。今の日本の政官財が考えているのはこれです。
でも、もうひとつのシナリオがあります。それは「経済成長をもう目指さない」ということです。そらなら東京への資源一極集中の必要はありません。むしろ、地方に離散する。
今、若い人たちが地方に移住して、第一次産業に就く動きが出てきました。こちらの方が生活の質を考えたら、明らかにアドバンテージがある。東京一極集中ということになると、生業の選択肢は資本を持たない若者には賃労働以外にはありません。定型的な賃労働と定型的な消費生活を強いられる。快適で文化な生活を維持しようと思うならむしろ地方にチャンスがある。そのことを直感しているからこそ若者たちの地方移住が続いているのだと思います。

内田樹の研究室、のブログ 2020-03-02
映画『Workers被災地に起つ』神戸・元町映画館でのアフタートーク、から(全文はこちら

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資本主義の常に拡大再生産を目指す、ということには無理があるのでは? と昔政経の授業で習った時から思っていました。しかし現状を見るとそろそろ。右肩上がりの成長になれてしまった意識を変革する時では?

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