ニューアイテム@一本堂高陽店
一本堂高陽店(こちら)にまだ食べたことがない食パン。
たっぷりれーずん、390円。
食パン型のレーズンよりたっぷりなのか? パンの大きさが違うので?
そのままでも旨いが、私的にはバターを塗るのが好み。
ちぎりシュガーソフト、300円。
名前通り、上に砂糖、パンはフワフワ。そのままでもほんのり甘く美味。
バターを塗ると更に美味しい。
大町店が移転し、高陽店に行くようになりました。
一本堂高陽店(こちら)にまだ食べたことがない食パン。
たっぷりれーずん、390円。
食パン型のレーズンよりたっぷりなのか? パンの大きさが違うので?
そのままでも旨いが、私的にはバターを塗るのが好み。
ちぎりシュガーソフト、300円。
名前通り、上に砂糖、パンはフワフワ。そのままでもほんのり甘く美味。
バターを塗ると更に美味しい。
大町店が移転し、高陽店に行くようになりました。
■多彩な「程度表現」全国に
山口県・徳山駅の構内で目にした掲示板。〈ぶちトク情報!〉は、旅行者にとって珍しい表現です。
「ぶち」は岡山県から山口県にかけて使われることばで、程度が大きいことを表します。「ぶちトク情報」とは「超おトク(なトクヤマの?)情報」ということです。
学生時代、広島県の友人から「広島では程度の大きさを『ぶち』『ぶり』『ばり』の3段階で表す」と聞いたことがあります。この言い方は今でも使われます。山口県でも同様の言い方をします。
全国各地には多彩な程度表現があります。昔、各地の方言を紹介するNHK教育テレビの「ふるさと日本のことば」という番組がありました。私は毎週メモを取りながら見ていましたが、程度の高さを表すことばだけで60語以上集まりました。
中国地方に絞っても、「ぶち」のほか、以前紹介した「がいな」(島根ほか)、「もんげー」(岡山)など20語以上。山口県では「ごっぽー」という古い表現もありました。
程度表現は「超」「激」「鬼」など新しいものが次々に生まれます。各地域にも、独自の程度表現が生まれ、親しまれているのです。
朝日新聞 be on Saturday 2020年02月29日
(街のB級言葉図鑑)飯間浩明(国語辞典編纂者)
*****
私広島在住40数余年、『ぶち』『ぶり』『ばり』の3段階とは思っていませんでした。使う人によって違うという印象を持っています。そもそも今使う人は減っているのではないでしょうか。
コロナ後の世界に警告 by「サピエンス全史」のハラリ氏
2020/3/30 日本経済新聞 のコラム(国際)
ネットで全文を見るには会員になる必要があります
今回の感染拡大では、市民のあり方が大いに問われているということだ。これからは私たち一人ひとりが、根拠のない陰謀論や自分の利益のことしか考えていない政治家ではなく、科学的なデータや医療関係の専門家たちを信頼しなければならない。選択を誤れば、自分たちの健康を守る唯一の道は「これしかない」という思い込みで、私たちにとって最も大切である自由を手放す事態になりかねない。
国際社会は現在、集団的まひ状態にあり、誰も責任ある対応を取っていない。各国の指導者は何週間も前に会合を開き、共通の行動計画を策定すべきだった。日米欧の主要7カ国(G7)の首脳はようやく3月25日にテレビ会議を開いたが、そうした計画は何も作らなかった。2008年の世界金融危機や14年のエボラ出血熱の流行など、過去に世界規模の危機が起きた際は、米国が世界のリーダー役を担った。しかし現在の米政権はその役割を放棄し、人類の将来より米国を再び偉大な国にする方が大事だとの立場を隠そうともしていない。
今の米政権は自国の最も重要な同盟相手すら見捨てた。3月11日に欧州連合(EU)加盟国からの入国を全面的に禁止すると発表した際も、そのような過激な施策の実施についてEUに相談もしなければ、事前に連絡さえしなかった。
また新型コロナウイスルに効くワクチンを開発中のドイツの製薬会社に対し、10億ドル(約1110億円)を提供する見返りに米国にそのワクチンを独占的に供給するよう求めたとも報道され、ドイツに大きな衝撃を与えた。
米政権が今後、方針を転換してグローバルな行動計画を作ったとしても、何についても責任を取ることも、過ちを認めることも決してない一方で、手柄はすべて自分のものにして、問題が起きれば誰か他人のせいにする指導者に従う人はいないだろう。
米国が抜けた穴を他の国々によって埋められなければ、感染拡大を食い止めるのが難しくなるだけでなく、新型コロナの感染拡大による打撃は長く国際関係に影響していくことになる。しかしすべての危機はチャンスでもある。新型コロナの流行が、グローバルな分裂が重大な危険をもたらすと人類が理解する機会になることを願う。
我々は目の前には、自国を優先し各国との協力を拒む道を歩むのか、グローバルに結束していくのかという2つの選択肢がある。前者を選べば危機は長期化し、将来さらに恐ろしい悲劇が待つことになるだろう。後者を選べば新型コロナに勝利するだけでなく、21世紀に人類を襲うであろう様々な病気の大流行や危機にも勝利することができる。
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昔のペスト、当時の人たちはすごく恐れたことでしょう。20世紀になって医療が発達しても、スペインかぜやエイズ、多数の死者を出しています。今回の新型コロナウイルス、まだ不明な点が多いがどうなることか。ハラリ氏のいうとおり、コロナ後まで見通さなければいけないでしょう。それにしてもアメリカ(トランプ)は・・・
高知への旅、その4。
前に似たような写真を出しましたが、中央がロビーとレストラン、右奥の煙突がある所が大浴場になります。
これが大浴場。「大」とはいえないかも知れませんが、10人ぐらいは入れるでしょう。夕方浸かっていたら、7・8人の団体がやって来ました。
温泉分析書によると、ナリウムー塩化物冷鉱泉、24.5℃、ph7.9(弱アルカリ性)、溶存物質8837mg、23㍑/分。
”敷地内から湧き出る黄金色の自家源泉をかけ流し。国内でも非常に珍しい、天然にごり湯アイソトニック(等張性)温泉。温泉の浸透圧が人の身体と同じため、身体への負担がもっとも少ないとても優しい温泉。また、ミネラルが豊富でツルツルとした滑らかな浴感”
とっても気持ちのいい温泉でした。冷泉といっても、ぬるぬるツルツルがすごい。愛媛県大洲市肱川の小籔温泉が過去最高でした。さーたんの独り言(こちら)の trip 温泉、2012年4月に書いています。
ある媒体に「たいせつな作業」というタイトルでの寄稿を頼まれたので、「朝のおつとめ」のことを書いた。
9年前に神戸に自宅兼道場を建てた。二階に住んでいて、階段を降りると、そこが道場である。究極の職住近接を達成したと思って喜んでいたらのだが、「家の中に道場がある」というのは、ただ、道場が空間的に近いということとは別のことだということにしばらくして気がついた。
朝起きて、道場の扉を開くと、「鎮まった場」がそこにある。「鎮まった」というのはノイズがないということである。物理的なノイズに限らず、心を乱すようなノイズがない。そこだけ他と違う。武道というのは「超越的なもの」を受け入れて、心身を調えて、それを発動させる術であるから、道場もどこか「浮世離れ」した場でなければならない。だから、道場を作るときには神棚を勧請し、合気道開祖植芝盛平先生の写真を正面に飾り、二代道主吉祥丸先生が揮毫された「合気」の扁額と、私の師匠である多田宏先生の「風雲自在」の書を道場に掲げた。すると「場が調う」というのがどういう感じなのか、身にしみて分かる。
道場ができてしばらくは朝起きて道場に行って、神棚に一礼するだけだったが、なんとなくもっと「儀礼的なこと」がしたくなって、「お勤め」をするようになった。
きっかけは羽黒山の山伏の宿坊に泊めてもらったときである。朝のお勤めを宿泊者みんなでする。修験道は神仏習合なので、祝詞と般若心経を唱えるのである。この「神仏共生」の儀礼がすとんと腑に落ちた。なるほど、これが日本人の宗教性なのかと思った。
それで、家に戻ってから、祝詞と般若心経を道場で唱える「お勤め」を始めた。
祝詞のときは拍子木を打ち、お経の時は錫杖を振る。拍子木の打ち方は禊祓いの行の時に教わった。錫杖の振り方は滝行の時に行者の方に教わった。
朝稽古のある日は5時半に道場に降りる。冬だとまだ空には星が出ている。道場に端座して、一人朗々と祝詞と般若心経を唱えると、なんだか今日やらなければいけない仕事の半分くらいを終えた気になる。
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内田樹の研究室、のブログ 2020-02-27 たいせつな作業。
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一時期、願船坊というお寺の「朝活」(こちら)に参加しました。
週一回で上に書いてあることとは比べものにはなりませんが、
朝はこうあるべきだということは通じるものがあると思います。
十数回お参りしましたが、諸般の事情で最近は行けません。
言葉で死体を埋めることもできるし、それを掘り起こすこともできる。ーーレベッカ・ソルニット
問題をずらしたり、文脈や関連領域を無視したり、情報を除外・改竄(かいざん)したり。事実を曲げる方法は多々ある。その横行は、時代を「診断」し「世界を変える作業の鍵」となる着実で粘り強い言語の力を損なってしまうと、米国の作家・歴史家は言う。「蛮行に抵抗する革命は、蛮行を隠す言葉に抵抗する革命から始まる」と。評論集『それを、真(まこと)の名で呼ぶならば』(渡辺由佳里訳)から。
鷲田清一による折々の言葉 朝日新聞 2020.02.25
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まさに今の日本の状況では。
高知への旅、その2。
湖畔遊は、十年ほど前、温泉が出て、レストランを始め、昨年、宿泊出来るようになりました。二組限定ですが、ユニークな施設です。
音楽の部屋 musics room(音に浸る、湯に浸る、部屋です)
ロビーを奥に進むと見えてくる建物、手前半分が音楽の部屋です。二階部分がある奥半分はリネン室など。右に行くと川、左に進みます。
玄関を入って右が部屋、素晴らしい音響装置があります。”史上最高傑作とされる真空管「WE300B」が搭載されたUESUGIアンプ”、といわれてもよく判りません。が、いい音(音楽)を聴くための音響空間がそのままお部屋になっています。
ソファーに座ると、特等席、臨場感のある音楽を聴くことができます。
カーテンを開けるとテラス。鳥の囀りが聞こえます。奥が露天風呂。
ボタンを押すと十分ぐらいでお湯が一杯に。汲み上げたばかりの自家源泉で鮮度抜群、新鮮な温泉力を愉しむことができます。夜空も綺麗でしたが、朝の爽快さも素晴らしい。何度も入りました。
音楽聴くための部屋です。宿のCDもたくさんありますが、お気に入りを家から十数枚持って行き、時間の許す限り音楽に浸り、素敵な時間を過ごしました。
■炭鉱労働者の挨拶から
集団内では当たり前の習慣が、外部の人から見るともの珍しい、ということがあります。業界特有の挨拶(あいさつ)なんかもそうです。
山口県徳山の工場に〈今日も一日「ご安全に!」〉という看板が掲げてありました。一般に「安全」には「ご」をつけないので、珍しい使い方と言えるでしょう。
私が「ご安全に」を知ったのは20年ほど前。原発作業員の挨拶として、雑誌に紹介されていました。もっとも、元をたどれば、ずっと古くからある挨拶のようです。
関西電力のウェブサイトによると、ドイツの炭鉱労働者の挨拶が由来だそうです。1953年に住友金属工業が使い、鉄鋼業界などに広まったとのこと。私が今回見た看板は化学メーカーのものでした。
安全確認が最重要の職場では、「ご安全に」は広まるべくして広まったのでしょう。「安全第一」では少し硬い。「お大事に」のような柔らかさを持たせた言い方です。
安倍首相も使っています。第1次内閣の時、出身会社の製鉄所を訪れて「皆さん、ご安全に。工程課厚板係の安倍晋三です」。仲間意識をくすぐる挨拶だったのでしょう。
朝日新聞 be on Saturday 2020年02月22日
(街のB級言葉図鑑)飯間浩明(国語辞典編纂者)
高知への旅、その1。
湖畔遊という温泉に行ってきました。高知県香美市香北町有瀬100、南国インターから車で30分ほどです。近くにアンパンマンミュージアムがあります。宿は川縁にあり、周りには何もありません。
” 湖畔遊のマークは音楽記号のナチュラルをモチーフにしています。
意味は「変化を取り消し、もとの音に返すこと」
湖畔遊のこだわりである、温泉、音楽、食事、自然・・・
それらは全て自然回帰を体感するためのもの。
日々の暮らしをふりかえり、本当の自分を取り戻す。
湖畔遊で、なにかひとつでも豊かさを感じていただければ
それはこの上ない喜びです。”
厳密に言うと、湖ではなく、川(物部川)です。ダム湖でしょう。
今回の宿紹介、一気に書く元気がないので、少しずつ紹介します。
グラスホッパーカフェ、佐伯区五日市町石内6500-1、石内バイパス沿い、石内ペノン内。昨夏に開店しました。左の方から見ると・・
右の方に、アントベーカリーが見えます。両方とも、ムギムギがやっているお店です。左のテラス席で頂きました。
中央に卓球台、最近は客多く、テーブルとして使っているそうです。
たっぷり4種チーズとじゃが芋の焼きカレー、1380円+税。
じっくり煮込んだ純インド式スパイスカリー。ご飯は少し、マカロニが入っています。料理名の通り、じゃが芋たくさん。
ランチは焼き立てパン食べ放題。パンタロンチーニ(焙煎した小麦粉、ごまとケシの実、香ばしクロワッサン)、低温熟成バゲット、ミルクバターロール。
帰る時に見たらもう二種類増えていました。
蜜ミルク、ランチとセットで半額、250円+税。
田園風景を眺めながら優雅なランチでした。
7種類ほどランチがありますが、どれも千円を超えています。
600円のキッズメニューもあり。
帰りに、アントベーカリーでハーブハードトーストを購入。
*****
三良坂にある麦麦(こちら)、三次本通り商店街の migimugi cafe(こちら)、トレッタ三次にある green mugimugi(こちら)、ANT BAKERY(こちら)、このお店が五店舗目になります。
70歳を過ぎると、免許証更新の半年ぐらい前にお知らせが来ます。
更新の前に、高齢者講習を受けなければいけません。
自動車教習所等を予約とありますが、先ず免許センターへ電話。
親切に教えてくれました。センターでも講習が受けられるので、
そこでやれば一日(半日)で終わるとのこと。
雪の心配までしてくれて、今日になりました。
更新開始日前にいつもの葉書。
ご丁寧に高齢者講習のお知らせも来ました。
8時頃から座学。次に目の検査。
静止視力(いつもの検査です)、
動体視力(奥の方から近づいてくるものを判断する)、
視野角度、
夜間視力(明るい光を目に当て、暗いものを判断する)、
この検査だけがダメでした。
目的は、歳を重ねて色々衰えていることを自覚する。
最後に運転。
コースをぐるぐる回り、S字カーブ、車庫入れ、
初めてだったのは、一段高い所に乗り上げすぐ止める。
講評は、停止がいつも停止線を少し越えている、
確認がミラーに頼りすぎ、カーブでスピードを落とす、
ぐらいでした。
長年身についた悪癖を見直す、のが目的だそうです。
11時には終わりました。
これから高齢者講習を受ける方、
先ずは運転免許センターで予約することをお薦めします。
サル化した人間の特徴は「過去を反省しない」「未来に対して見通しを持たない」ことです。だから、悔恨もないし不安もない。どれほど失敗しても同じ失敗を繰り返すし、「こんなことを続けていたらそのうちたいへんなこと」になるとわかっていても、「こんなこと」を続ける。「前にこれで失敗して手痛い思いをしたこと」も「そのうち起こるかもしれないたいへんなこと」にもリアリティーを感じることができない。
こんな生きづらい時代ですから、「過去のことは忘れたい 未来のことは考えたくない」と思ってしまうことは止められません。でも、「後悔に苛まれたくない、不安に怯えたくない」という人は、それと同時に、遠い記憶の中を逍遥したり、未来に夢を描いたりすることもあきらめなければならない。それがどれほど多くのものを失うことなのか、それについては少し立ち止まって考えた方がいいと思います。
内田樹の研究室、のブログ 2020-03-17『サル化する世界』についてのインタビューから。全文はこちら。
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『サル化する世界』、近いうちに読むつもりです。
安佐南区で人気のお好み焼き店・楓(こちらの記事の中に記載あり)、
初の持ち帰り、家で食べました。
肉玉とうがらし麺、700円。
お店で食べるのには及びませんが充分に旨い。
今日遠くからの来客があるので、お店に行くのは大変、なので、
息子が昨日注文、今日の昼取りに行ってくれました。
お店に並んでいる人は1時間半待ちだったそうです。
その人たちをかき分け、レジでお金を払ってサッと受け取る、
「持ち帰りできるんだ」と声に出して言う人もいたとのこと。
前日に頼めばこんなことも出来るのです。
内田樹の研究室、のブログ 2020-03-09
三島由紀夫対東大全共闘から50年から、全文はこちら
三島は、全共闘の学生たちのうちには、「徹底的な論理性」と「民族的心性の非論理性・非合理性」を併せ持った「革命戦士」が10人、せめて5人はいるのではないか、そう思ったのである。そして、その selected few に向かって三島は語りかけた。
だから、この時の三島の目標は「この人となら一緒に死んでもいい」という欲望を学生たちの間にかき立てることだった。千人の「敵」の前に、鷹揚として、笑顔を絶やさず、胆力とユーモアと、深い包容力を持つ政治的カリスマとして登場すること、それが三島の駒場での一世一代のミッションだった。
そういう仮説に基づいて観るとまことに味わい深い一作である。
*****
映画「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」、
広島では3月20日サロンシネマで公開、
観に行くつもりです。
四季のラーメン第四拾五作「カレー中華」が登場、
3月11日から、早速参上。お店の宣伝文句は・・
広島のカレー中華の歴史と言えば約40年前に
西広島駅の近くにあったお店が発祥とされています。
昔ながらの中華そばとカレーを癒合させた昭和の味は当時、
「カレー中」の愛称で多くの人々から親しまれていました。
そんなカレー中華を我馬流にアレンジし、
麺やスープとのバランスを考え、
カレーは数種類のスパイスをブレンドするなど、
さらに進化させた逸品に仕上げています。
昭和、平成を経て令和の今、新たに誕生した
我馬流「カレー中華」をご賞味ください。
己斐「江戸天」の「カレー中」、伝説になっていますが、未食。
十年ぐらい前に復活させた店があるも、週一夜の営業で行けず。
で、比較は出来ないが、恐らくこんな上品なものではなかったのでは。
最近の我馬の新商品は洗練されたものが多いと思います。
スープの粘度は高くなく、カレー味も強からず弱からず。
麺はスープが絡む絶妙な茹で具合、少し噛み応えのあるコシ。
チャーシューはチョット硬め、カレー味には合っている。
メンマはコリコリだが、もっと厚みが欲しい。
モヤシもカレーにピッタリ。
我馬三篠本店(こちら)にて。これは又食べに行こうかな。
*****
さーたんの独り言本家(こちら)の食物にラーメン店一覧あり。
高知への旅、プロローグ。
高知へ行く途中、なかなか行けないラーメン店に行こうと思いました。第一候補、塩そば「まえだ」、残念ながら定休日(一昨日の9日日曜のことです)、で、鶏そば「なんきち」を目指しましたが、店の前に行くと営業していない雰囲気(後で調べると、一年ぐらい前に休業、食べログだけ調べたのがミスでした)、次は、来々軒、チョット行列があり、駐車場も少し待ちましたが、食べることができました。
三原市本町一丁目6-8、JR三原駅の北側。カウンター4席、四人掛けテーブル3つの、レトロな感じのお店。50年ぐらい続く店舗で、それ以前は屋台の時代もあったようです。年輩と若いの男性二人で切り盛り、営業年数を考えると、二代目と三代目かな。
餃子も注文してみました、400円。挽肉とニラがメイン、テーブルにタレはなく、調合したものを持ってきてくれます。シンプルでタレが美味。
中華そば、550円。麺は中細ぐらい、縮れと言うより大きくウエーブ、ほんの少し茹で過ぎかな。スープは複雑な味わい、色々なものが使ってあるのでしょう、牛骨の味のような、チョット油が強め。チャーシューは歯応えあり、メンマはコリコリ、共にラーメンに合っている。
次から次に客がやってくる人気店のようでした。
*****
さーたんの独り言本家(こちら)の食物にラーメン店一覧あり。
明治22(1889)年創業、岡山県津山市一宮の難波酒造。
美作の国の一の宮・中山神社の門前に蔵を構える。
2月21日~23日に開催された蔵開きで販売された限定酒、
津山在住の親戚が購入し持ってきてくれました。
ストレート又は冷たく冷やしてどうぞ、と書いてあります。
アルコール分 20.0度以上 21.0度未満。
酒米は岡山県産のものを使っているそうです。
ラベルの手作り感がいいですね。
うまく剥がすことが出来ませんでした。
アルコール度数の割にはスッキリさっぱりした口当たり。
フンワリと果実系のいい香りが広がります。
少し辛さはあるが、全体的にマイルドで旨味濃厚。
酸はさほど感じないが、口の中を流れてスッと喉へ。
これは私好みの旨い酒です。
迂闊なことに、何度も津山に行っているのに、
こんな旨い酒を造る酒蔵があるとは知りませんでした。
次に行った時には蔵を訪問しようと思います。
Sugita bakery (こちら)、のパン。
明太フランス、296円+税。
フランスパンと明太子、これ又いいコンビ。
焼きドーナツ、108+税。
スギタベーカリーの定番、少しずつ変化しています。
以上三つ、同じようなものを以前食べたことあり。
ミニマーガレット、108+税。大きいものもあります。フワフワ。
桜あんぱん、178円+税。
桜の花、桜餡、餅、なかなか凝っています。
スギタベーカリー、いいパン屋です。
■全国的には「月極」が主流
「月極(げっきょく)」という名の、全国規模の駐車場チェーンがある――というのは有名な冗談です。「月極(つきぎめ)駐車場」の看板はどこにでもあるので、勘違いしていた人もいるはず。
契約を1か月ずつ決めることを「月決め」と言いますが、駐車場の表記は「月極」。昔は「きめる」を「極める」とも書き、変わった表記ではありませんでした。明治時代の二葉亭四迷「平凡」にも〈金額をも極(き)めて〉と出てきます。
戦後の漢字表では「極」は「きめる」とは読まなくなりましたが、全国の看板では依然として「月極」が主流です。戦後教育を受けた人にとっては、「月極」は謎の看板になってしまいました。
一方、地方によっては「月決」と書いた看板を見ることがあります。有名なのは高知県です。高知新聞の調べでは、「極」より「決」が1割ほど多い印象とのこと。たしかに、戦後の表記ルールには合います。
今回の写真は、北海道・旭川で撮影しました。このように、「月決」は北海道や青森県などでも見かけます。地理的な要因などで、よその影響を受けにくく、独自の表記が保たれているのでしょう。
朝日新聞 be on Saturday 2020年02月01日
(街のB級言葉図鑑)飯間浩明(国語辞典編纂者)
かりそめの姿で喜びを分かち合う
19年度の流行語大賞はラグビーワールドカップから選ばれるに違いないと思われた。「笑わない男」とか「ジャッカル」とか。結果選ばれたのは「ワンティーム」。しかし、私が好きなのは、「にわかファン」。
「にわか」とは「急に・突然」の意味で、にわかに降ってきた雨のことをにわか雨という。あくまでも一時的であり、本来的ではなく、かりそめのものという意味で、偽物っぼい、インチキくさいの意味になる。
このラグビー大会は、始まるまで、ちっとも盛り上がっていなかった。日本は体格的に海外ティームにかないっこないと信じていた。
泥臭い。男くさい。汗臭い。美しくない。そうした、ラグビーの一般的なイメージも不利に働いているのではと思われた。
しかし、始まってみると、ロシアを相手に勝ってしまった。強いのだ。強豪アイルランドを、鮮やかなパスとスピードで圧倒した。スコットランドはその勢いで倒すことができた。
ラグビーは武骨でありながら華がある。ユニフォームの胸の桜のマークがアンバランスでいい。日本中が沸(わ)いた。当然のように、熱中する人が増える。「にわかファン」と呼ばれた。
堂々と「にわか」を自認する
「にわか」には、真っ当でなく胡散(うさん)臭いの意味があって、「にわかファン」は、昔からのラグビー好きからすれば、蔑称(べっしょう)である。
事実、ラグビーについて急に語り始めたオジサンたちの中には、「神戸神鋼のゲームを見た」とか、「新日鉄釜石の大八木がいかにすごかったか」を話し、知っているんだぞ、にわかじゃないんだぞと言いたがる人がいた。しかし、今までラグビーについて一切語ることをしなかったのだから、実は「にわかファン」だった。「にわか」であることを恥じていた。
その後、自称として堂々とにわかファンであることを自認する人々が現れた。ここが、この言葉のすてきなところなのだ。
自分は、ラグビーについて知らない。そのルールもよくわからない。近頃の選手としては、五郎丸(ごろうまる)君しか知らない。「ジャッカル」なんて初めて聞いた。でもこの度の試合をテレビで見て、面白いと思ってしまった。
にわかであることを認めてしまうというのは、何より正直である。その日本ティームの活躍を見て、とても嬉(うれ)しくなってしまった。幸せな気分になっている。恥ずかしがりながらも、その喜びを人に伝えたくてたまらない。その謙虚さはいじらしい。
わたしも無論、生粋のにわかファンだ。
サライ2020年2月号、金田一秀穂による連載「巷(ちまた)の日本語」、第37回「にわかファン」
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私もにわかファンです、でした。
3月のNEWアイテム。
薄皮抹茶あん&白玉風パン
メーカーの説明:薄皮生地で濃厚な抹茶あんともちもちとした白玉フィリングを包み、抹茶の風味豊かに仕上げました。
これまでにお目にかかったことのないもの。旨い!
薄皮白桃ゼリー入り白桃クリームパン
メーカーの説明:薄皮生地で白ももゼリー入りのクリームを包みました。白桃のまろやかな味わいをお楽しみいただけます。
NEWアイテムとは言いながら、二度ほど登場したもの。
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ひょんなことからこのパンの存在を知って、以来嵌まりました。NEWアイテムは勿論、定番もちょくちょく食べています。その「ひょんなこと」&これまでに食べた薄皮ミニパン、へのリンクは<こちら>。
ある時代が政治的であるということは、人々がかまびすしくおのれの政治的意見を語り、政治的組織に属し、運動をするという外形的な兆候を指すのではない。例えば、今の日本でもメディアには政治を語る言説があふれているし、党派的にふるまう人はそこらに数えきれないほど存在するけれども、私は現代日本人を政治的とは見なさない。現代日本は「非政治的な季節」のうちにあると思っている。/それは「政治的」であるというのは、自分個人の生き方が国の運命とリンクしているような「気がする」ということだからである。
「『世界を変える』とマルクスは言った。『生活を変える』とランボーは言った。この二つのスローガンはわれわれにとっては一つのものだ。」(アンドレ・ブルトン)/名言だと思う。こういうふうに考える人間のことを「政治的」と呼ぶべきだと私は思う。
「政治の季節」の人々は次のように推論することになる。
1・自分のような人間はこの世に二人といない。
2・この世に自分が果たすべき仕事、自分以外の誰によっても代替し得ないようなミッションがあるはずである。
3・自分がそのミッションを果たさなければ、世界はそれが「あるべき姿」とは違うものになる。
こういう考え方をすることは決して悪いことではない。それは若者たちに自分の存在根拠についての確信を与えるし、成熟への強い動機づけを提供する。/その逆を考えればわかる。
1・この世には私のような人間は掃いて捨てるほどいる。
2・私が果たさなければならないミッションなど存在しないし、私の到来を待望している人たちもいない。
3・だから、私が何をしようとしまいと、世界は少しも変わらない。
このように推論する人のことを「非政治的な人」と私は呼ぶ。/自分が何をしようとしまいと、世界は少しも変わらない。だから、私はやりたいことをやる。人を突き飛ばそうと、おしのけようと、傷つけようと、汚そうと、奪おうと、それによってシステム全体にはさしたる変化は起きない。そういうふうに考えることが「合理的」で「クール」で「知的だ」と思っている人のことを「非政治的」と私は呼ぶ。現代日本にはこういう人たちがマジョリティを占めている。
内田樹の研究室、のブログ 2020-01-29 政治の季節、から。
全文はこちら。
*****
これは三島由紀夫のドキュメンタリー映画のパンフレットに書いた文章とのこと。その映画は、三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実。3月下旬、サロンシネマで公開。見に行こう。
暖簾にあるように、昭和32(1957)年創業の老舗。実は、麗ちゃん初体験、いつも大行列が出来ているので敬遠していました。今日は県外からの訪問客と一緒、彼らがお好み焼きを所望ということで、ちょっと早い時間で列がなかったので入店。鉄板前を希望したので少し待ちましたが、先に注文を取り、さほど待つことはありません。焼くのを見ていて気になったのが、鉄板にこびり付くものが多いこと。温度が高いのでしょうか。
豚肉卵そば、840円。
そんなに押し潰して焼いている感じはないのですが、ふんわり感は無し。自家製辛口ソースが置いてあり、旨い。全体的にはまあ普通でしょうか。突出したものはなく、まあ観光客向けかもしれません。
JR広島駅北側、ekie DINING1階の廣島ぶちうま通り、にあります。南側の駅ビルアッセにあったお店が移転したようです。
内田樹の研究室、のブログ
2020-02-29 コロナウイルスと社会的共通資本
先週の『信濃毎日』に寄稿したもの。それよりさらに数日前に書いたものなので、その点を勘案してお読みください。
コロナウィルスの感染はこの原稿が掲載される日(注:2月25日)にどうなっているか予測がつかない。たぶん事態は今以上に危機的になっているだろう。それにしても、今回の事件に日本社会の本質的な脆弱性が露呈されたと思っている人は少なくないだろう。
私が日本社会の弱さと思うのは「社会的共通資本」という概念が定着していないことである。
社会的共通資本とは人間が集団として生きるためにそれなしでは生きてゆけないもののことである。海洋・森林・河川といった自然環境、上下水道・交通網・通信網・電力などの社会的インフラ、そして行政・司法・教育・医療などの制度資本がこれに当たる。これらの制度設計・管理運営は専門家が専門的知見に基づいて、理性的かつ非情緒的に行うべきものであって、政治と市場はこれに関与してはならないとされる。
別に政治イデオロギーはつねに有害であるとか、金儲けは悪であるとか言っているわけではない。政治と市場は複雑系だという話である。
複雑系ではわずかな入力の変化が巨大な出力変化をもたらす。政治と市場に人々が熱狂するのは、予測もしなかった急激な変化が連続的に起こるからである。変化が好きな人間には深い愉悦をもたらす。
だが、社会的共通資本においては、わずかな入力の変化でめまぐるしく変化することよりも、定常的であることが最優先される。政権交代したら水道が出なくなったとか、株価が下がったので学校や病院が閉じたというようなことがあっては困る。
医療という制度資本にかかわる感染症対策では、専門家が専門的知見に基づいて管理すべき事案であって、ここに内閣支持率や株価が関与することは許されない。
ということをどれだけの人が自覚しているだろうか。
今回のコロナウィルスの政府の対策会議は1月30日の第一回から2月14日の第九回まで一人の感染症専門家もなしで開かれていた。会議時間は10分から15分。ここで感染症対策についてのテクニカルな議論が深められたと信じる人はいないだろう。
政治家や官僚や財界人ではなく、まず専門家がハンドルすべき重大事案がこの世には存在する。そのことについての合意が日本社会には存在しない。
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コロナウイルスについては判らないことだらけ。何をどう信じていいのか? 騒ぎすぎという人もいれば、危機が迫っている人もいる。専門家による一般人にも理解できる説明が欲しい。
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