« 高級食パン専門店「瀬都」 | トップページ | moegino »

2020年2月12日 (水)

直線の鉄路

朝日新聞 be on Saturday 2020年1月25日
(歴史のダイヤグラム)中央線のまっすぐな線路
原武史(政治学者)

 京都市営地下鉄烏丸(からすま)線は、烏丸通の地下を走っている。大阪メトロ御堂筋(みどうすじ)線は、御堂筋の地下を走っている。どちらも、京都や大阪の中心部を南北に貫くメインストリートの地下を、直線状に線路が敷かれている。
 四条(しじょう)、丸太町(まるたまち)などの烏丸線の駅名は、烏丸通と直交する東西の通りの名称を意味する。大阪にも、南北の通りを「筋」、東西の通りを「通」と呼ぶ習慣がある。碁盤の目のような区画は、京都では平安時代に、大阪では豊臣秀吉の時代に整備された。京都御所や大阪城も、この区画を大きく崩してはいない。
 京都や大阪に比べると、東京の地下鉄網には全く法則性がない。確かに南北線や東西線という線はあるが、南北や東西をまっすぐに貫くメインストリートはなく、どちらの線も曲がりくねっている。
 それはひとえに、濠(ほり)に囲まれた巨大な江戸城が中心に立ちはだかっているからだ。ここで言う江戸城とは、現在の皇居をはじめ、皇居前広場、皇居東御苑、北の丸公園を含めた一帯を指している。
 江戸には、京都や大阪のような都市計画の発想がなかった。建築史家の陣内秀信は、そこに「自然と対話する独自の柔らかいコンセプト」を見いだしている(『水の都市 江戸・東京』)。しかしそれは、人工的な計画を都市全体に貫けず、江戸城を禁忌の空間にしてしまったことを意味してはいないか。
 その禁忌は、江戸城が皇居などに変わっても維持されている。都市を目指す地下鉄の線路は、江戸城の内濠にぶつかりそうになるやいずれも急に曲がり、濠のまわりをなぞるようにして大手町や銀座へと向かってゆく。
 しかし目を皇居から東京の西側に転じれば、東西を20キロ以上にわたって一直線に貫く線路がある。
 JR中央線である。
 もともとあった直線状の道路の地下に敷設された烏丸線や御堂筋線とは異なり、中央線は明治中期、何もなかった武蔵野の原野を切り開いて敷設された。それは東京で初めて生まれた本格的な直線の交通路であった。
 南北という軸には天皇の影がある。平安京は中国の都にならい、即位などに際して天皇が南面するように設計された。大阪の御堂筋も天皇の行幸を想定して拡張されたという。一方、東西という軸にはそれがない。中央線のまっすぐな線路は、皇居の禁忌からひたすら遠ざかろうとしているようにも見える。
 だが中央線は、皇居に面した丸の内口に最も近い東京駅のホームから発車する。そして立川を過ぎるやカーブして高尾へと至る。そこには大正天皇や昭和天皇の陵がある。やはり天皇の影からは逃れられないのだ。

*****

成る程です。京都も大阪も江戸も面白い。

|

« 高級食パン専門店「瀬都」 | トップページ | moegino »

新聞雑誌など」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 高級食パン専門店「瀬都」 | トップページ | moegino »