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2020年2月17日 (月)

木食・断食・断水

朝日新聞 be on Saturday 2020年2月1日
(生老病死)往生を希求した人たちの看取り
山折哲雄(宗教学者)

 話は、はるか昔にさかのぼる。この国にまったく新しい看取(みと)り・ホスピスの実践がおこなわれていた。現代の心臓死、安楽死に先立つこと千年ほど前のことである。もちろん当時の人々の死の実態は老病死というほかないものだった。
 それをはじめて提唱したのは源信(942~1017)。浄土教を大成した僧侶である。『往生要集』という傑作を書いて注目されていた。『源氏物語』にモデルとして登場し、宇治川に身を投じた浮舟を救い導いた僧として知られる。『往生要集』には、死後人間はどのようにして浄土に往生することができるのか、詳細に説かれている。とくに最期の場面では二つの重要な課題があるという。一つは「臨終の行儀」、つまり死ぬための作法、二つ目が「瞻病送終(せんびょうそうじゅう)」、病者を看取って見送る作法だ。前者の作法は、念仏の行者(同志)が病に倒れたとき、「無常院」という阿弥陀如来を祀(まつ)る部屋に移し、ともに念仏を唱える。その間の一切の介護、看護は二人の同志が24時間態勢であたる。
 つぎの看取りの作法は、まず「瞻病人」(看病人のこと)が病人にむかってどんな意識があらわれているか、罪のイメージか法悦のイメージかをきき出し、克明に記録にとる。イメージトレーニングの一種だ。やがて命終(みょうじゅう)のときがくる。同志の遺体を墓所に運び、荼毘(だび)に付す。「送終」である。
 当時源信は比叡山の横川(よかわ)に草庵(そうあん)を結び、山の各所で修行していた25人の選ばれた同志を集めて、月一度満月の日に念仏集会を開いていた。みずから書いた『往生要集』にもとづき、ともに学び、ともに浄土往生を希求した。そのため「二十五三昧(ざんまい)式」という規約をつくり、共生共死のための結束をはかったのである。
 もう一つ興味あることに、源信のもとで出家した文人、慶滋保胤(よししげのやすたね)は、寂心(じゃくしん)と称し、念仏者たちの伝記を集めて『日本往生極楽記』をあらわした。登場する往生者たちの多くが、寿命を悟ったあとは木食(もくじき)から断食・断水の行に入っていた。いまわのきわには、しばしば阿弥陀如来のイメージ(霊験)があらわれたと記されている。法然や親鸞に先立つ源信の存在が、今あらためてしのばれるのである。

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食べることができなくなったら、人生は終わり。だから、胃瘻(いろう)などはもってのほか。寿命を悟ったら、静かに終わりを待つ。歳を取ると死に方を考えます。

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