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2020年1月21日 (火)

木食ー断食

朝日新聞 be on Saturday 2020年1月11日
(生老病死)先祖たちがつみあげてきたこと
山折哲雄(宗教学者)

 自分の最期は断食で、と何となく思っていた。30代後半のころだ。1969年2月、寒い日だったが、中央線の吉祥寺駅前の居酒屋ではげしい吐血と下血で倒れ、近くの救急病院に運ばれた。全共闘の学生が立てこもる東大時計台はすでに落城、運動はやがて収束にむかっていった。
 以前にも書いたが、私はこれまで消化器系の疾患に悩まされ、入退院をくり返してきた。そのときは十二指腸潰瘍(かいよう)の再発で、ただちにベッドにしばりつけられ断食療法に入った。古い手帳を繰ると、そのときのことが克明に記されている。何しろ点滴だけでいのちをつないでいるのだから、日に日に飢餓感がつのる。餓鬼の苦しみはこのようなものかと暗い気分になったが、不思議なことに4日目あたりからそれが薄らいでいった。からだが軽く浮くようで、清澄感のようなものがあった。そんな横臥(おうが)したまま退屈な時間をやりすごしていたときに蘇(よみがえ)ったのが、中世期に記録された「往生伝」や「高僧伝」、比叡山で修行していた坊さんたちのエピソードだった。
 多くが晩年になって寿命を悟ると、たいていは精進や断食の行に入って命終(みょうじゅう)を迎えていたのである。いさぎよい進退というよりは、むしろ死の作法がそのように定まっていたのではないかと思った。
 私の入院生活は胃腸の潜血反応が一向におさまらず、4カ月に及んでようやく娑婆(しゃば)にもどることができた。そして、それ以来、私は死ぬときは断食でと自分にいいきかせるようになった。あの宙に浮くような軽快感が忘れがたかったのである。おそらく遠い先祖たちが気の遠くなるような時間を重ねてくりかえしてきたであろう飢餓対策の成果も、そこにはあるのではないか。
 それから、すでに半世紀が経つ。
 その間、医療技術はめざましい進化を遂げ、そのおかげで私なども命ながらえることができたが、薬物や栄養分を管で注入する緩和医療や延命治療には強い違和感をもちつづけてきた。致死量の薬物を使用する類いの終末医療には賛成しかねる思いが消えなかった。先祖たちがつみあげていたはずの木食(もくじき)(精進)―断食による食のコントロールという人類の知恵になぜ学ぼうとしないのだろうか。

*****

木食とは、火の入った食物をとらず、木の実や果実のみを食して、肉類、米穀、野菜を常用しない修行。
この木喰戒で修行する僧侶(そうりょ)を木喰(木食)上人(しょうにん)といい、あまたいるなかでとくに有名なのは、木彫りの仏像の制作で知られる木喰五行明満(ごぎょうみょうまん)(1718―1810)という人。江戸後期の僧侶で、木喰行道(ぎょうどう)、木喰菩薩(ぼさつ)などとも名のっていたそうです。

前回の生老病死で安楽死を遂げた人に断食を勧めていた(こちら)理由が少し判ったような気もする。

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