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2020年1月22日 (水)

身の丈

自分ではわからないし決められない
 身の丈というのは本来、身長のことである。
 身の丈に合った着物を着る。大きすぎてズルズル引きずることもなく、ツンツルテンで脛(すね)が出てしまうこともない。
 大きなのを着ようとしても似合わないし、小さいのを着たのではみっともない。自分の持って生まれた身の丈に合う着物を着るのが適切である。
 身の丈は身長のことだったのだが、後世になって、意味が拡大して使われるようになった。身の丈に合わない役職とか、当人の能力とか資質について言うようになった。
 人は時として、およそできそうもないことを無理やりこなそうとして、無能さが露(あら)わにされてしまう。ただ、身長のように目に見えることであれば、それがはっきり身の丈に合うかどうかわかるけれど、当人の能力については、判断が難しい。
 そもそも自分の身の丈がどのくらいのものであるのか、自分自身が判(わか)らない。
世間が決める自分の身の丈
 昔から、分(ぶん)を知るとか、分をわきまえるという言い方をする。知らないこと、わからないこと、できないことに出しゃばったり、偉そうに口出ししたりしてはいけない。
 人にはそれぞれ分際(ぶんざい)というものがある。この分際からはみ出してはいけない。分際をはみ出すと、世間から指弾される。身の程知らずと言われる。
 しかし、分際とはどんなものなのか、自分の分際がどのようなものであるのか、自分で判断するのは難しい。わかっていれば苦労しない。その人の分際とか身の丈は、身の回りにいる世間の人々が決めるのだ。
 その評価を何となく理解しながら、自己評価する。自分はこんなことができる、こんなことはできないということを、成長するにつれて理解するようになる。
 身の丈は世間が決めるということはしかし、自分で決めなくていいということでもある。だから若いうちはいろいろ試す権利を持つ。ある時は成功するけれど、ある時は絶望する。その繰り返しで身の丈がわかってくる。身の丈知らずでもかまわないのだ。
 ただし、巷間(こうかん)言われている身の丈に合う受験というときの身の丈は、その人の能力ではなく、居住地域とか経済力とかであるらしい。それは身の丈ではない。そう言う文科大臣は、誰よりも一番、身の丈に合っていないと言える。

サライ2020年1月号、金田一秀穂による連載「巷(ちまた)の日本語」、第36回「身の丈」。

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