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2019年12月28日 (土)

老病死

朝日新聞 be on Saturday 2019年12月14日
(生老病死)点ではなくプロセスでみる死
山折哲雄(宗教学者)

 「こころ」「美」の森をさまよい歩き、「先祖」の岸辺にたどりついて、このエッセーも、「死」のテーマに近づいてきた。もちろん「生老病死」の「死」である。「死生観」の「死」といってもいい。そのなかでカミの死とヒトの死という主題も浮かび上がった。「強い歴史」「弱い歴史」という枠組みの話までもちだしてみた。
 ひるがえってわれわれの社会では高齢化がどんどん進んで、ひとりきりの孤独老人、寝たきり老人が増え、それに認知症や植物状態の老人が加わり、看護や介護の手が足りなくなっている。臨終の場面をどうするかも、ままならないことになる。どうするか。わが身のことも念頭において考えれば、結局、人間の死の問題を再定義することからはじめる外ないのではないか、そう考えるようになったのである。
 これまでの現代医療では、人間の死は「心臓死」とか、便宜的に「脳死」とかいわれるように、点でとらえられてきた。心肺停止とか脳機能の不可逆的停止とかいった言い方に象徴されている。しかもそれを宣告するのは医師だけ。医師は、神の代理人であるかのように、そのような死の一点を告知する。けれども現実の人間の死は、けっしてそんな単純なものではない。年を取り、老衰し、致命的な疾患を発して死へと運ばれていく。つまり、一定のプロセスを経て、最終のゴールに到達する。それは、ある一点に凝縮されたような形で、突然やってくるのではない。老いと病をさまざまに抱えて、やってくる。もはや心臓死とか臓器移植のための脳死とかいう、人工的に設定された死の定義の枠のなかで訪れてくるものではないからである。
 私は、このような現実ありのままのわれわれの死を、
 老病死
と名づけて、再定義してみたいのである。いってみれば、心臓死から老病死への転換のすすめ、である。それこそが人間の死についての、真に実態的な考え方、とらえ方ではないだろうか。そもそも人間の老病の状態は、すでに死の領域、少なくともその入り口に実態的に参入していると私は考えるのである。それが、この国の長い伝統が育んできた死生観の根幹だったと思う。

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これまでに引用した、生老病死

平穏死&仏像の半眼(こちら
心臓死、脳死、そして・・(こちら
「こころ」と「心」(こちら
心の分離(こちら
日本の湿気(こちら
「弱い歴史」と「強い歴史」(こちら

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