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2019年11月14日 (木)

表現の自由

「表現の自由」ということが繰り返しメディアの論点に取り上げられた。さまざまな意見が述べられたけれど、「表現の自由とはさらなる表現の豊かさ、多様性、開放性を目指す遂行的な働きのことである」という知見を語った人は私の知る限りいなかった。
 けれども、「表現の自由」というのは、静止的、固定的な原則ではあるまい。表現の自由はつねにさらなる表現の自由を志向するものでなければならない。表現の可能性を押し広げ、多種多様な作品を生み出す生成力によって生気づけられているからこそ「表現の自由」は尊重されなければならないのである。それは死文化したルールではなく、今ここで生き生きと活動しているプロセスの名なのである。
 ヘイトスピーチをする人たちもまた「表現の自由」を口にする。
 彼らが自分の思いを語ること止める権利は私にはない。だが、彼らが「表現の自由」の名において語る権利は認めない。その看板だけは外して欲しい。「人間には邪悪になる権利、愚鈍になる権利がある」という看板を掲げてそうするのなら構わない。だが、他の人に向かって「ここから出て行け」とか「お前は黙れ」という言葉を「表現の自由」の名の下で口にすることは許されない。それは「さらなる表現の自由」を志向していないからである。一人でも多くの人に「一緒にいる」場を立ち上げることを目指していないからである。

内田樹の研究室、のブログ 2019-11-01「沈黙する知性」から

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