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2019年8月11日 (日)

表現の不自由展・その後

朝日新聞デジタル2019年8月9日
宮台真司さん「津田大介氏は未熟過ぎ、騒動は良い機会」

 「表現の不自由展・その後」への反発は3種類です。第一は市民や政治家の抗議で、これは自由にやればいい。第二は脅迫で、犯罪ですから警察が対処すべきです。第三は補助金カットなどをほのめかす政治家の恫喝(どうかつ)。文化芸術基本法の、活動内容に干渉せずとの基本理念に反します。政治家の劣化です。

 今回の中止は脅迫による混乱が理由で、言語道断です。毅然(きぜん)とした態度を貫かないと、脅した者勝ちになる。フランスのシャルリー・エブド紙襲撃事件では、マスコミも政治家も識者も「テロに屈するな」と叫んだはずです。

 警察と連携、別会場でボディーチェックなど対処法を編み出すべきなのに、それをせず3日間で中止したトリエンナーレ実行委員会や津田大介芸術監督は未熟すぎます。

 ただ、今回の問題の本質は、税金が使われて公共の場で展示される「パブリックアート」の矛盾です。

 自由な表現としてのアートは、200年前に「社会の外」を示すものとして成立した。作品の体験後に日常の価値に戻れないよう「心に傷をつける」営みとして、自らを娯楽から区別してきました。

 1930年代の米国で、芸術家の失業対策として、公共建造物に税金で壁画や彫刻を作らせたのがパブリックアートのルーツです。ところが81年、リチャード・セラの「傾いた弧」問題が起きる。ニューヨークの広場に設置された巨大なオブジェが、倒れそうで不安だとして反対運動が起き、撤去されます。

 トリエンナーレは自治体主催の地域芸術祭で、住民や政治家が文句をつけ得るパブリックアートの構図で、同じ問題が反復する。住民や政治家は日常になじむものを求め、「心に傷をつける」非日常的作品には抗議しがち。アートとパブリックのねじれです。

 矛盾する二側面を両立させるには工夫が必要ですが、今回はなかった。「表現の不自由展」なのに肝心のエロ・グロ表現が入らず、「看板に偽りあり」です。特定の政治的価値に沿う作品ばかり。政治的価値になびけば、社会の日常に媚(こ)びたパブリックアートに堕する。政治的文脈など流転します。「社会の外」を示すから、政治的対立を超えた衝撃で人をつなげるのです。

 政治的な文脈を利用してもいいけれど、そこに埋没したらアートではない。トリエンナーレ実行委も津田氏も、アートの伝統と、それに由来するパブリックアートの困難に無知だったようです。

 今後の地域芸術祭を成立させるには観客教育が必須になります。アートの「心を傷つける」本質を伝えるのです。今回の騒動は良い機会です。民衆、芸術家と政治家の劣化を世界中にさらして終わるわけにはいきません。

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難しい問題を、うまくスッキリまとめてあると思います。

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