心の分離
「こころ」の戦後史を話題にするとき、まず記憶にのぼるのが、いつごろからか「稲作」というかわりに「コメ作り」というようになってしまったことだ。秋の実りを心から祝うかわりに、車をつくるようにコメをつくる時代がやってきた。その風潮ときびすを接するように広がっていったのが、食べ放題、飲み放題の店の全国展開だった。食べすぎ食べのこしが日常茶飯のことになり、日本は1人あたりの残飯排出量でも世界有数の大国だ。「腹八分」という大和ごころが死語と化す時代がはじまっていた。
あわてたわれわれの社会は、物の豊かさにたいする心の豊かさ、といったスローガンを口にするようになったが、時すでに遅し。あとからやってきた次世代の子どもたちは、ものごころがつきはじめたころから、物と心がすでに分離してしまっていることを知らされるはめになったのである。
考えてみれば、そもそも、こころという言葉は、宗教心、道徳心、公徳心、忍耐心、向上心といった熟語で用いられていたのである。それが気がついてみれば、「心」だけが切り離され、離れ小島のように裸にされていた。このごろでは人間の心というかわりに、人間力などという使われ方まで発明されている。
ちょうどそのころからスキルとかツールとかいった言葉が流行(はや)りだしていた。どんな道具をつかい、どのような技術をアップさせるか、要するに数値化された目標を立て、口さきだけの「心の豊かさ」をいうようになったのである。
朝日新聞 be on Saturday 2019年3月2日号 9面
山折哲雄の(生老病死)大和ごころ薄れ、離された「心」より
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