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2018年12月 7日 (金)

心臓死、脳死、そして・・

 おそるおそるいうのであるが、今こそ死の規制緩和が必要なのではないか、と私は思う。それは大きくいって二つある。一つ目は、これまでの死の定義を変更すること。知られているように、われわれの死は心臓死か脳死、そのいずれかであると法的に定められてきた。心臓死は近代医学にもとづくものだが、脳死は臓器移植をすすめるため便宜的に定められた人の死である。これも近代医学の理屈に合わせて設けられたという点で心臓死の定義と本質的に異なるものではないといっていい。
 それでは、今日おかれているこの超高齢の多死社会の困難な課題にたいして、このような2種の死の定義だけで有効に対処できるのかというと、もはや不可能ではないかと私は考える。われわれの死に差し向けられた生の現実は、長期にわたる病と老いとともに進行するプロセスとしての死の特徴をきわ立たせているからである。それは心臓死や脳死のような、点としての死という定義を大きくふみはずす様相を呈している。この国では昔から「もがり死」という過程としての死の慣行が生きつづけてきたことも忘れてはならないところだ。

山折哲雄、朝日新聞2018年12月1日
be on Saturday(生老病死)迫られる死の規制緩和と再定義

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