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2018年9月22日 (土)

平穏死&仏像の半眼

今日(2018年9月22日))の朝日新聞 be on Saturday 4面

特別養護老人ホーム常勤医・石飛幸三 「(それぞれの最終楽章)平穏死:3 「1分でも長く」は愛情でなく執着」から抜粋

 事情はそれぞれです。親が生きていることで心の平衡を保ったり、介護が自らの存在証明になったりしている人もいるでしょう。しかし1分1秒でもただ長く生きてほしいと願うのは、愛情ではなく執着です。「不死身の人間はいない」という当たり前の事実を受け止めてほしいと思います。
 「情がない」「肉親でない者が理屈を並べているだけだ」と批判する人もいるでしょう。ポイントは医療を提供する、しないの判断に「その人のためになるのか」という視点が貫かれているかだと考えています。

二週間前にも引用したシリーズです。

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今日(2018年9月22日))の朝日新聞 be on Saturday 9面

宗教学者・山折哲雄 「(生老病死)死のプロセスへのこだわり映す」から抜粋 

 この国では仏像の半眼表現によって人間の死のプロセスをあらわすようになったのではないかと疑うようになった。病院で診断されるような心臓死や脳死という、点でとらえる死ではない。開眼から半眼へ、そして閉眼にいたる死の旅路をあらわす象徴としてそれが刻まれ、描かれるようになったのではないか、と。
 われわれは人の死を「もがり」という作法で送ってきたことを思いだす。「殯」と書く。人は死んで地に横たえられたあとも息を吹き返すことがある。だからしばらくのあいだは地上にそのまま安置し、生きているかのように横たえる。庶民の場合は3日ほど、・・・・・

半眼の仏像はわが国にだけ多くみられるとのこと。

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色々考えさせられる記事でした。

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