山辺の道の南端へ
山辺の道&ちょこっと京都、その6。
平等寺から南へ、山辺の道をほんの少し外れたところ。
鳥居には、志貴御縣社。正式には、志貴御縣坐神社(しきのみあがたにますじんじゃ)。右に見える説明板には、この地が磯城瑞籬宮跡(しきみずがきのみやあと)だと書いてあります。第十代崇神天皇の皇居跡と伝えられているところだそうです。
左、鳥居の奥に見えていた拝殿、右奥、本殿。
山辺の道に戻りしばらく行くとこんな景色。左が音羽山、中央手前は鳥見山(とみやま)、右が多武峰(とうのみね)御破裂山(ごはれつさん)。
金屋の石仏。建物の中、岩に浮き彫りにされた二体の仏像。
喜多美術館、休館日でした。前庭にはこの辺りの雰囲気とは異質の現代彫刻。館内展示も山辺の道とは直接関係のないもののようです。
最終目的地、佛教傳来乃地。河原に碑が建っています。
この辺りは、大阪湾から大和川を遡ってくる川船の終着点で、海柘榴市(つばいち)と呼ばれる大規模な市があったそうです。
山辺の道から西の方に大きなお寺のような屋根が見えていました。観光案内には何もないのですが、帰りに判りました。天理教敷島大教会です。
ここから想像するに、本部は凄いのでしょう。JR桜井線の駅はほとんど無人駅なのですが、天理駅だけは立派でした。
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